南極旅行記: 南極大陸、サウスジョージア島、フォークランド諸島のクルーズ


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長い間行きたかった場所で残ったのは南極大陸だ。

白い氷の大陸を一度、この目で確かめたかったが、南極旅行のシーズンは12月から2月である。ずっと都合がつかった。

ガラパゴスとマチュピチュの旅で利用したリンドブラッドエクスペディションズから、しばしばパンフレットが送られてきた。そこには南極クルーズが華々しくあつかわれてた。

リンドブラッドは南極観光旅行のパイオニアというせいもある。クルーズの値段は毎年5パーセントほど着実に上昇していた。今は円高だけれど、これで円安になったら南極はあきらめなければならない。いつまでも健康が続く保証もない。残念なことだと思ってた。

2010年の初夏、またやってきたパンフレットをパラパラとめくって、はっとした。授業や公式行事がなく、無理すればなんとかなるところに一つクルーズがあるではないか。引退が迫ってきて、責任が減ったせいもる。

あわてて南極半島、サウスジョージア島、フォークランド諸島へ行く、2012年月のクルーズを予約した。

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南極クルーズの準備は大変だ。まず健康診断書の提出。遠隔地なので、心臓などに持病があると参加できないらしい。英語の書類なので、大学の保健センターの所長に、記入を依頼した。

そして、救援費用が十分の保険への加入だ。むろん環境省への届出も必要である。

12月の半ばに入ると、2人でしばしば買い物に出かけた。サングラス、上陸用の長靴などは必須である。長靴はいろいろ迷った末、釣り用の頑丈なものを買い込んだ。

出発が近づくと、何かの事故や病気で出かけられなくなってはと生活にも注意した。骨折などはもっての他である。

同時に、即断で決めたものの、この南極クルーズにどのくらい期待できるかも、不安であった。2月は時期的に遅く、氷や雪が溶けて南極らしい風景がないのではないか。もっと時を待って、1月のクルーズか、ロス海を目指すクルーズを選ぶべきだったかとの思いも浮かんだ。

しかし、2012年は異常に寒い年で、南極観測船のしらせが接岸できないというニュースが入った。どうやら南極らしい景色を見られそうだ。

南極クルーズの旅行記を読むと、南極の天候を甘く見てはいけないようである。曇りならまだしも、霧や吹雪の日もある。もっとも、たいていの場合、1日は晴れるようだ。

そこで、今回の旅行では、南極大陸に上陸すること、1日でよいから晴れた日の南極大陸を見ること、そしてサウスジョージア島のキングペンギンの大群を見ること目標にした。運が良ければ、さらに何かあるだろう。

2012年2月10日。無事に成田を出発。ダラスで乗り換えて、ブエノスアイレスを目指した。利用したのはアメリカン航空である。破産したばかりなので若干心配であったが、満席に近い盛況で、なんの悪影響も感じられなかった。

2月11日。ブエノスアイレス着。ここに4泊してリンドブラッドのツアーに合流するのである。飛行機の延着などでツアーを逃がしたら、追いかけるわけにいかないので、ゆとりを持ったが、同時に時差を解消し、体調を整える目的もあった。

ブエノスアイレスはほぼ10年ぶりの訪問である。料理の美味しさも、明るく親切な人々も変わっていなかった。もっとも、たがの緩んだところが多く、経済危機の爪あとは残っていた

注目したのは季節の違いだ。今は夏。ピンクの大柄な花をつけた街路樹が目立った。パロボラチョである。幹がビヤダル状になり、とげもある。ジャカランダの花も残っていた。

2月12日。ラプラタ河を越えてウルグァイのコロニアを訪ねた。世界遺産だそうだが建物はたいしたことがなく、のんびりした雰囲気が印象的であった。

マロニエのような街路樹がやたらに元気で歩道の敷石を壊していた。公園のシュロの木にはインコが群がって巣を作っていた。そして、河沿いの砂地には国花のセイボの赤い花があった。

2月15日。リンドブラッドのツアーと合流した。まず、簡単なブエノスアイレスの市内観光。そして、レストランでの歓迎会である。レストランを埋め尽くした人数に驚いた。

148人の乗客定員は満席で、9月に申し込んだ夫婦が最後の空席を得たそうだ。金融危機の後でもこれだけ人気があるのは、リンドブラッドを強く支持する客層が存在するからであろう。

ただ、配られた乗客名簿には135名が載っていた。2人部屋を1人で使う客もいるだろうし、間際になって病気などで来られなくなった客もいるためだろう。夜には荷物を廊下に出した。ツアーが始まるのだ。

2月16日。チャーター機で南米大陸南端の町、ウシュアイアに飛んだ。機窓から遠くに大陸の先端が見えてきた。地のはてというのは、どうして、こうも心躍らされるのであろうか。

着陸の前に見たウシュアイア周辺の山々は鋭くとがっていて、さすがにアンデスが海に落ちる地だけのことがある。

ウシュアイアは正確には島にある。この島とさらに南側の島を隔てるビーグル水道を小型船でクルーズした。対岸のチリの山々は壮大で、写真で見たパイネ山群を思わせた。

そしてアシカの一種、オタリアが群れている小島に来た。オスの大きさは350キログラムほどだそうだ。オスはウォーウォーと吼えていた。

クルーズの終点はウシュアイアの港。これから乗船するナショナルジオグラフィック・エクスプローラーが待っていた。

リンドブラッドエクスペディションズはエコツアーという視点でナショナルジオグラフィックと意識を共有し、その結果、両者は提携関係にある。それがこの船の名前にも現れている。

ナショナルジオグラフィック・エクスプローラーは2008年に改造されたばかりで、最新の設備を備えた探検船だそうだ。

早速キャビンに案内された。キャビンはシャワー、トイレつきである。居住空間も、荷物の収納スペースも十分にある。調度品のセンスも良い。私たちはこの船が気に入った。ブエノスアイレスで別れた荷物はちゃんと到着していた。

さらに、クルーズ参加者に支給される赤いパーカが置いてあった。防水で、保温効果も大きく、上陸には必須のものである。

ディナーの前にラウンジでブリーフィング。明日のドレーク海峡は、通常の姿だという情報に乗客の間に緊張が走った。ドレーク海峡は荒れるので有名なところである。相当な覚悟が必要かもしれない。

出航は午後6時の予定であったが真夜中となった。燃料の供給について、一騒動あったらしい。

明け方、船のきしむ音がした。そして、揺れが始まった。立って動くときには手摺につかまったほうがよい。レストランへの通路にはロープが張られた。だんだん揺れはひどくなり、波頭が盛り上がって崩れていた。

しかし、それ以上にはならなかった。午後になると、トローリングの時の揺れ程度になった。この船は最新式のスタビライザーを備えているので、揺れが軽減されるという面もある。

 

ドレーク海峡の楽しみはアホウドリである。中でもワタリアホウドリは羽の先端から先端まで3メートルを超え、その意味では最大の鳥である。

船の後尾の甲板に出て、ワタリアホウドリを待った。しばらくすると2羽やってきた。さらにマユグロアホウドリもいる。ナチュラリストのトムが見分け方を教えてくれた。トムは南極観光の草分け時代から働いているというベテランである。

ワタリアホウドリは背面に白い十字があり、腹面はほとんど白である。海の泡から生まれたような美しい鳥だ。ワタリアホウドリは空高く、そして海面すれすれに、すべるように飛んだ。

海面と直角になり、白十字を輝かせるときもある。やがて船の真上に来ておっとりと私たちを見下ろした。

午前には南極の鳥、午後には南極の地理の講義があった。ナショナルジオグラフィックとの提携関係のため、この船にはナショナルジオグラフィックのナチュラリストや写真家が何人か乗り込んでいる。リンドブラッッドに所属するナチュラリストを含めると、立派な講演者陣である。

そして、ゲストスピーカーとしてピーター・ヒラリーが来ていた。エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリーの息子である。彼自身も7大陸の最高峰すべてに登り、さらに南極点にスキーで達する新ルートを開拓した探検家である。

2月18日。揺れはおさまり、普通の航海となった。天候は曇り。朝食後にナガスクジラがいるというアナウンスがあった。急いでデッキに出た。

そのデッキにいたのはピーター・ヒラリーだけだった。たしかに2頭のナガスクジラが潮を吹いていた。一度潜ったがまた浮上した。船から50メートルくらいの位置だろうか。頭部がはっきり見える。

ピーターが話しかけてきた。

「大きいクジラだな。噴気も高い。何の種類だろう」

ピーターはずっと外にいてアナウンスを聞いていなかったらしい。

「ナガスクジラとアナウンスしている。潜るときに尾を上げないから、やはりそう思うぜ」

と答えた。

「そうかナガスクジラか。2番目に大きいクジラだ」

ピーターはうれしそうだった。私もピーターに教えることがあってうれしかった。

船室に帰ると雪となった。そしてペンギンについての講義が始まった。ピーターマン島でのペンギンについて長年研究しているナチュラリストが講師だ。

この島のペンギンは本来アデレーペンギンだったのだが、次第にジェンツーペンギンが増え、今や多数派になったとのことである。地球温暖化の影響がこんなところにも現れている。

つづいて南極を汚さないための具体的な注意があった。観光によって南極の自然を破壊しないため、南極観光を扱う業者の協会ができ、行動指針を作っているのだ。

昼食後に風が強くなった。波が砕けてしぶきとなり、窓に吹きつけてくる。嵐の海の上を20羽ほどの鳥が飛んでいた。翼に白い線が入っている。ヒメウミツバメだろう。こんなところを、よく平気でとんでいられるものだ。

午後には持ち物の除染。上陸に使用する靴やリュックを掃除機で徹底的に吸引した。外来植物の種子や胞子を南極に持ち込まないためだ。

サウスシェトランド諸島のどこかに上陸する予定であったが、悪天候のため計画変更となった。外洋側をひたすら南西に進むのである。

最初の氷山が現れた。白くきれいで、気のせいか少し緑色を帯びている。霧がまとわりついていて、幻の中から出現したようだ。航海の様子を知るため、ブリッジに行った。たくさんの機器が置いてある。現在、南緯62度。さらに少しずつ南下している。

夕方に船長主催のカクテルパーティー。乗組員の紹介があった。船長はスウェーデン人である。スタッフにもスウェーデンやドイツ出身の人が結構いる。

そういえば、知り合った客も、バンクーバーからのご婦人はドイツ系だし、カリフォルニアからの夫婦はオランダ系だ。アメリカを支える背骨にゲルマンの貢献があることを感じた。

夕食前に明日の計画の説明があった。いよいよ上陸とのことである。天気も期待できるそうだ。本当だろうか。

2月19日。目を覚まして、ブラインドを少し開けてみた。遠くに南極の島が見えるかもしれないと思ったのだ。なんと、大きな白い山が窓の外にそびえている。

大変だ、南極大陸に着いたのだ。急いでパーカを着込んでデッキに出た。白い山と白い氷河の崖が広がっている。雪も氷も、混じりけのない白だ。これが南極か。想像を超えた美しさだ。

朝日が山々の雪をピンクに染めた。私は一番高いデッキに行き、ゆったりと景色を眺めた。雪山の山腹には襞がついている。ヒマラヤ襞にそっくりだ。山の上部のたおやかさはモンブランを思わせる。

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海中から高山が突き出しているかのようだ。しばらくして、1人の男が上ってきた。そして叫んだ。

「おお、凄い。こいつを見るためにやってきたのだ」

私たちはデッキに立って、景色にみとれていた。通り過ぎてゆく氷山の上にペンギンの群れがいた。ペンギンは、早送りのビデオを見るようなすばやさで、しかし秩序だって動いていた。

船は狭い水路に入った。切り立った氷河が両岸にそびえている。水路に薄い氷が漂うようになった。行く手に大きな氷山が見える。

純白の卓状氷山はいかにも南極らしい。いくつかの氷山が立ちはだかる水路を船は巧みにすり抜けて進んでいった。氷の崖に囲まれた島が近づいてきた。クーバービル島である。

急いで朝食を摂り、ゾディアックに乗った。晴、時々薄雲の好天で、風もない。クーバービル島上陸には絶好の条件だ。

島にはジェンツーペンギンのコロニーが広がっている。ヒナは巣立の時を迎えていた。親くらいになった太ったヒナがえさをねだって親を追っかけている。親は大急ぎで逃げるのだが、たまには餌を与えていた。雪の斜面を歩いていくペンギンもいた。

ペンギンのコロニーを抜けて小さな丘を越えると入り江に出た。さまざまな形の氷山やその断片が海に浮かんでいる。ナチュラリストのトムが説明してくれた。

「氷河の下部の氷は激しい圧力で空気が抜けて、泡がまったくなくなるのだ」

トムは打ち上げられた、漬物石よりやや大きめの氷を指した。水晶のように透明である。こういった氷は光の具合で青く見えるそうだ。

たしかに、下のほうが青みを帯びている氷山が目につく。大きな穴が空いて門のようになった氷山では、穴の周囲はきれいなブルーとなっている。

船へ帰る途中、ゾディアックで氷山の周りを回ってくれた。逆光だと氷山の襞の部分がブルーを帯びて見える。

突然、ゾディアックはスピードを上げた。何か連絡があったようだ。2、3台のゾディアックが集まっているところに行くと、巨大な動物が海面でうねっていた。

ヒョウアザラシである。近くにペンギンがいた。ぬいぐるみのように海面に浮いている。ヒョウアザラシに襲われたのだ。突然、ヒョウアザラシはペンギンを空中に放り上げた。

海に落ちたペンギンを咥えて、また放り投げる。これを何度も繰り返している。ペンギンの厚い羽毛を切り裂いて、食べる準備をしているのだそうだ。海面がペンギンの血で赤く染まった。

昼食後、船は氷山が漂う美しい水路に入った。空は晴れ渡っている。到着したのはネコハーバー。海と陸の境は、鋭く切り立った氷河である。

いよいよ南極大陸へ足を踏み入れるのだ。乗客は7つくらいのグループに分けられている。幸いなことに、今回は私たちのグループが最初に上陸する番であった。

ゾディアックを降りると、浜で待っていたスタッフが

「あそこに登るかい」

と雪山の上のほうを指した。ジョークだと思って

「そりゃー無理だ」

と答えた。

でも、スタッフが旗を立てて、ルートを整備している。何人かが登ろうとしている。そうかと私たちも登りはじめた。登山杖を持ってきたし、上陸用長靴は釣り用で底にスパイク状のものがついている。気楽に登っていくことができ、真っ先に頂上に着いた。

頂上からは、大きく広がった氷河を見下ろすことができた。純白の氷河が滑らかに海に向かい、すっぱりと切れた面となり、青黒い海に接している。

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氷河の脇はごつごつと割れて、氷塔のようになっている。氷河の切れ目は薄青く光っていた。海は凪いでいて、日の当るところは明るい青だ。対岸には雪を戴いた岩峰がそびえている。南極に来て本当に良かったと思った。私たちは、ここでしばらく時を過ごした。

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帰りのゾディアッククルーズではザトウクジラが現れた。ザトウクジラはすぐ近くまで接近してくれた。氷河をバックにしたクジラは絵になる。

夕食前に恒例のミーティング。皆、ワインを片手に嬉しそうに集まった。ツアーリーダーが聞いた。

「今日、7番目の大陸に足を下ろした人」

半分ほどの人がワイワイと手を上げた。もちろん私たちも。

ミーティングでは、専門家のショートレクチャーがいくつかあった。ナショナルジオグラフィックの写真家による撮影のヒントが一番面白かった。

彼は日の出から1時間後までと日没1時間前から日没までを「魔法の時間」とよんだ。良い写真がとれるからだ。

夕食後、再び上部デッキに出た。この船はたくさんのデッキ空間があり、混み合わずに見物できる。大きな氷山、小ぶりな氷塊が流れていくのを眺めていると、船は狭い水路に方向を定めた。これがルメール海峡であるとは後で知った。夕暮れが迫ってきた。写真家のいう「魔法の時間」である。

氷山や雪山が淡いピンクに染まった。時を経るとピンク色が次第に濃くなった。左側には円錐状の2つの岩山が聳えている。

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その少し先には3つの尖った岩峰が寄り添って突き立っている。岩山も夕日に染まった。そして、山々は滑らかな海面に鏡像を作るのだ。

迫ってくる水路には氷が漂い、その向こうの空はオレンジ色に輝いた。氷に覆われた島は、落日を受ける正面がピンクに光り、背後は青みを帯びて陰っている。

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日没直前、高い山の上部が鮮やかなピンクとなった。風の冷たさがつのってきたが、景色に引き止められて、薄暗くなるまでデッキに止まってしまった。

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2月20日。南極圏に迫る日である。南極圏、すなわち南緯66度33分以南に入る旅行者の数は限られている。クルーズ船が集中する南極半島では、大部分の船が南極圏のかなり手前で引き返すからだ。

リンドブラッドの船は一味違う。氷が融ける2月には、例年、南極圏に入り込んでいる。今年は氷が多い年で結果は分からないが、氷の海を行くので楽しみであった。

朝、目を覚ますと、船の脇にたくさんの氷が見えた。もう氷海に入ったのだ。あわてて2人でデッキに上った。

海面の4割程度が氷に覆われている。直径数メートルほどの平らな氷が多い。ぎざぎざとした氷山もある。

「これこそ南極ね」

と妻がいった。やがて日の出だ。朝日が山々の上部を染めた。

私たちは、しばらく景色を眺めていた。晴れた日で、風もなく、海面は鏡のようだ。海氷の形は様々である。ハスの葉に似た氷が目につく。新しい氷だろうか。

縁の突起が朝日を受けて海氷の上に長い影を作っている。厚い氷の断片もある。その下のエメラルドの部分は驚くように大きい。

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氷山の形も多様だ。氷のブロックを乱雑に積み上げたようなもの、ロールケーキ状のもの、箱型のものなどである。遠くに見えた屋根型の氷山が近づいてきた。これは小山のように大きい。

時々現れる島は全体が氷に覆われているので、一見、巨大な氷山のようである。この神々しい世界を船は穏やかに進んでいった。

次第に氷が増えてきた。行く手はほとんど氷に覆われているように見える。船はわずかのすきまを縫って前進する。

ナショナルジオグラフィックエクスプローラーの能力が十分に発揮されているのだ。この船は砕氷船ではない。しかし耐氷能が強く、また推進力が大きいので氷の海を航海できるのである。

船は平らな海氷に接触しても停止せず、じっと圧力をかける。少しして海氷はわずかに動き、スッパリと亀裂が入って割れていく。ゴロゴロと遠雷のような音がする時もある。

朝食後、私は急いでデッキに戻った。氷の海を行くドラマはいくら見ても飽きることがない。やがて海氷が減ってきた。ついに小さな氷が波間に漂うようになった。クリスタル海峡を中ほどまで進んできたのだ。

左手に南極半島の山々が白く光っている。半島の近くには巨大な氷山がいくつも見える。右手は氷の島だ。純白のユキドリが飛んでいった。このまま南極圏に入れるのだろうか。

また海氷が増えてきた。やがて針路はほとんど氷に覆われた。再び氷を割っての前進となった。様子を知ろうとブリッジに行ってみた。

船長が真剣に前を見つめていた。海氷の中にまぎれこんだ氷山と接触しないかチェックしているのだそうだ。氷山はレーダーで捉えられるのだが、念を入れているのだ。

船の位置を機器で確かめると、南緯66度を超えていた。南極圏はすぐ近くである。

船の進み方が遅くなった。そして前途にまったく海面が見られなくなった。さすがに限界である。午前11時、南極圏からわずか13キロの地点で船は引き返した。十分すぎる素晴らしい経験だった。

しばらくクリスタル海峡を引き返して、ゾディアッククルージングとなった。氷に覆われた小島に近づいた。海面と接する部分は氷が溶けて洞窟となっていた。垂れ下がっているツララが見事だ。そしてツララや周辺の氷がピンクに染まっていた。地衣類だそうだ。

アデリーペンギンが数羽じっと立っていた。羽毛が生え換わる時期のため海から離れているのだ。アデリーペンギンは白と黒の単純な色彩のペンギンである。ジェンツーペンギンはくちばしが赤いので区別がつく。

ゾディアックが岩礁に近づくとウェッデルアザラシが必死に岩に這い上がった。かなり大きなアザラシである。

つぎに、沖に鎮座している大きな氷山に向かった。幅広い氷山だが、側面から見ると彫刻された、らせんの塔のようである。高さは30メートルあるという。純白の氷山と青い海のコントラストは、ただ見事である。

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さらに白鳥のオブジェのような小さい氷山もあった。よくこんな形ができたものである。

ディナーが終わったとき、窓の外に巨大な氷山が見えた。

「タイタニックだ」

冗談をいいながら、多くの人がカメラを持ってデッキに飛び出した。船より高い氷山である。

船は氷山の周りを回ってくれた。そのうちに、地平の黒雲に隠れていた太陽が顔を出し、氷山がピンクに染まった。

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2月21日。起きてみると真っ青な空が迎えてくれた。驚くべき天気運の航海だ。朝食後、すぐにピーターマン島に上陸した。なだらかに盛り上がった島は雪と氷に覆われている。

私たちは巨大な雪のドームを登っていった。歩いて見ることによって、景色はさらに美しくなった。ドームの中腹でアデリーペンギンが遊んでいた。

引き返して小高い丘を越えると、海岸に氷山や海氷が吹き寄せられていた。青い空の下、輝く白さだ。さらに進むと海峡の向こうに、南極半島が広がっていた。

ごつごつした岩山、そこから延びる真っ白な氷河、そしてそれが海に落ちる切り立った断面。これがはるか右手にまで展開している。わずかばかりの氷が青い海峡に散らばっている。

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私たちは座り込んで景色に見入った。リンドブラッドのクルーズはカヤックをさせることも売りの1つにしている。岸近くにはカヤックの姿もあった。

乗客が帰ってくると、船はすぐ動き出しルメール海峡に向かった。私は上部デッキに上った。

私たちにとってルメール海峡を通るのは2度目である。一昨日の夕暮時に通過したのだ。しかしその時はアナウンスを聞き違えて、近くのノイマイア海峡にいると思っていた。

ルメール海峡は南極半島で一番の景勝地とされている。海峡の長さは11キロ、そのうち景色が特に良いところは7キロ、幅は最も狭いところで800メートルである。

薄い海氷に満ちた海を進んで、船は海峡の入り口に着いた。大きな岩山が両側にそびえ、氷河が岸近くに迫っている。

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船は海峡に入り、ゆっくりと進んだ。快晴の空の下、氷の白さはまばゆいほどだ。海面は鏡となり、岸の岩峰と氷河を映している。

両岸の岩山の傾斜はきつい。左手は60度、右手は45度くらいの角度だろうか。岩峰の間から氷河が流れ落ちている。そしてすっぱりと深く切れて海に面する。あたりの海は崩れた氷塊でびっしりと埋められている。

景色は少しずつ変わっていった。山が低いと巨大に盛り上がるような氷河がある。岩峰の間を水平に埋める氷河もある。

また厳しい傾斜の岩山が続く。なだれ落ちる氷河と海を覆う氷塊が繰り返される。

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海峡の幅が広くなった。出口が近づいたのだ。見覚えのある3本組の岩峰が現れた。そして双頭の岩山である。いずれも有名な景色なのであった。快晴のルメール海峡の絶景を昼間と夕暮れの2回も経験できたのは、想像を超えた幸運であった。

昼食後、ポート・ロックロイに上陸した。イギリスの基地を保存した博物館があり、みやげ物屋も併設されている。イギリスは1944年に最初の基地をここに置き、1964年まで使用した。

基地といっても貧弱な建物だ。使用済みの缶詰の缶が並んでいた。通信機器も真空管を使ったものである。南極観測が始まる前から、捕鯨船がここを利用していた。

基地の左手には大きなクジラの骨格が残っている。基地の周辺はジェンツーペンギンの巨大なコロニーだ。親を追っかけるヒナの姿が多い。早めに親に捨てられたのか、ぐったりしているヒナがあちこちにいた。

ポート・ロックロイも巨大な氷河に囲まれている。氷河をバックに停泊しているナショナルジオグラフィック・エクスプローラーと比較すると、氷河の高さがよく分かる。

2月22日。起きてみると快晴。まったく信じられない。船は南極半島沿いに北西に進んだ。南極半島はやはり氷に覆われ、岸近くにはたくさんの氷山がある。やがて船は南極半島の北端を回って南極海峡に入った。

南極海峡を進むとウェッデル海に達する。ウェッデル海は、南極を象徴する卓状氷山が多いことで知られている。卓状氷山は南極海峡にもあふれ出てくるそうだ。たしかに進むにつれて卓状氷山が増えてきた。数個が集まっていることもある。

沖に巨大な卓状氷山が見えた。船はこの氷山に向かった。アナウンスによると氷山の高さは30メートル、幅は900メートルである。

ウェッデル海のラーセン棚氷が大崩壊したことがニュースになったことがある。この氷山はラーセン棚氷に由来するらしい。

氷山が近づいてきた。氷山の上部は真っ平である。氷の平原が崖となって海に面しているようにも見える。氷山と接する所で海はコバルト色になっていた。

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船は数メートルの距離まで氷山に接近し、ゆっくりと周囲を回った。素晴らしい操船技術である。

日に照らされた氷山の面は白銀に輝いている。日陰になると色合いは複雑で、しばしばブルーがかっている。数羽の鳥が近くを飛び、氷山の面に黒い影を作った。

驚いたのは、ガラス細工のように精巧なツララがあちこちに下がっていることだ。光を受けるとキラキラと輝いている。青く開いた穴の下には束になって垂れ下がっている。

海面と接するあたりにも一面のツララがある。そしてツララの束が曲がって、絶妙な形を作っているところもある。

巨大な氷山にこのような氷の芸術が施されているのだ。世界は細部に至るまで美しい。なぜなのだろうという感慨に襲われてしまう。

ウェッデル海への出口に向かうと海氷が増えてきた。全体にブルーがかった氷山もある。ついに道は海氷に閉ざされ、ここで船は引き返し、南極半島北東端に近いブラウン・ブラフを目指した。高さ745メートルの火山性の幅広い山である。

上陸前にゾディアックで岸の棚氷を回った。海に接する面では、やはり、ツララが氷の芸術となっていた。

海にえぐられた部分が少し崩落した。見ていると今度は、その上の部分、全体が落ちた。すさまじい音がした。

「津波がくるぞ」

運転手は急いでゾディアックを沖に避難させた。

上陸すると元気なアデリーペンギンやジェンツーペンギンが迎えてくれた。楽しく写真を撮りながら浜を進んでいくと人だかりしているところがある。

駆けつけてみると、ヒゲペンギンが1羽だけいた。本来、ここにはいない種類であり、迷ったらしい。頭と胸の境にきれいな黒い筋がついていて、かわいらしい。

船に帰ると夕方の海が穏やかであった。のびやかな氷床の上を雲の影が過ぎていった。

ディナーのときに、夕日にピンクに輝く氷山を見た。あわてて食事を終わり、日没直前ではあったが、なんとかピンクを帯びた氷山の写真を撮った。

2月23日朝。エレファント島に到着した。サウスシェトランド諸島北端の島である。雪を帯びた岩山が海から鋭く立ち上がっていた。天気は曇り時々晴れで、雪もちらついた。少し南極らしくなってきた。

エレファント島はイギリスの探検家アーネスト・シャクルトン(1874-1922)の冒険との関連で有名である。

シャクルトンは南極点初制覇を目指し、1909年にはわずか200キロ程度の地点にまで迫り、引き返している。1911年、アムンゼンが南極点に到着したので、シャクルトンは南極大陸横断を計画した。

サウスジョージア島のグリトビケンを1914年12月に出発してウェッデル海に向かい氷を割って進んだが、1915年1月、船は海氷に捕まって動けなくなった。

同年11月、船は沈没。彼らは氷上にキャンプした。1916年4月、氷が緩んだので救命ボートに乗り移り、数日間氷海を航海して、このエレファント島に上陸したのだ。

彼の名を不朽にした冒険の始まりである。今回のクルーズの後半はシャクルトンの足跡を辿るというテーマも持っている。

ロンリープラネットによればエレファント島への上陸は難しいそうだ。しかし、その日は条件が良いと、ルックアウト岬に上陸することになった。

もっとも、アナウンスは

「波はかなり高いです。上陸は万人向きではありません」

といっていた。

たしかに、ゾディアックが波に揺られて激しく上下するので、船とゾディアックの間の移動には注意が必要だった。

無事に上陸すると、たくさんの南極オットセイが迎えてくれた。少し岩場を歩くと、ヒゲペンギンのコロニーがあった。コロニーの上部には氷河が迫っている。

ゾディアックで船に帰る途中、マカロニペンギンを見物した。海に張り出した岩場に10数羽が澄まして立っていた。頭についた金色の房のような毛が面白い。これがマカロニに似ているのだろうか。

船に戻ると、船はエレファント島の南岸に沿って東へ進んだ。空は晴れてきた。海には時折、氷山が浮いている。ほとんど全体がブルーの氷山もある。

昼には島の東端のバレンタイン岬を通過した。シャクルトンの一行が最初に上陸したのはこの岬である。しかし、ここは地形が険しく、シャクルトンたちは15キロメートル離れたポイント・ワイルドに移った。

私たちの船もポイント・ワイルドを目指した。そこでゾディアッククルージングとなった。海に突き出した平らな土地に記念碑がある。

ここにシャクルトンたちがキャンプしたのだ。そして、助けを求めるため、一番大きい救命ボートに乗って、シャクルトンら6名はサウスジョージア島を目指して出発した。残りの隊員はこの地で待った。

記念碑の近くにテントがあった。イギリスの調査グループが仕事をしているのである。

ポイント・ワイルドにはヒゲペンギンが多い。岩礁が海に面している所に行くとペンギンの飛び込み台があった。ペンギンはここに集まり、ちょっとためらってから海に飛び込むのである。

逆に海から飛び上がるペンギンもいた。1メートルくらいの高さを、海から発射されるロケットのような速度で飛ぶのである。

船に帰ると船は動き出した。しばらくするとアナウンス。

「船首にクジラがいます。セミクジラです」

クジラは十分見ていると思ったがとりあえずブリッジに行ってみた。驚いたことに4頭のクジラが船の近くを泳いでいる。急いで上部デッキに駆け上がった。船はエンジンを切って静止した。

1頭のクジラが船に興味を持って超接近した。なんと船底を潜って左舷に姿を現した。巨大な上半身が船べりに見える。

クジラは一度大きく潜ってから、また浮上した。今度はほとんど全身が見える。余りに船に接近しているので、衝突しないか心配なほどである。

そして、船首に接近して潮を吹き、カメラを構えている人たちと対面した。クジラは、しばらく、こういった遊びを繰り返した。オーストラリアでザトウクジラの乱痴気騒ぎを見たときと似たような経験だ。

2月24日。サウスジョージア島へ向けての2日間の航海である。 エレファント島からの距離は1300キロ。幸いなことに波は高くなく、私たちは快適な航海を楽しめた。同じ道のりをシャクルトンたちは長さ6.9メートルの救命ボートで旅したのだ。

航海中の楽しみは食事と講演だ。食事は3食ともレベルの高いものだった。ディナーは3コースであるし、コーヒーなどはいつでも飲める。

知り合った客の一人は、「私はフランスレストランにいる」と友人にメールしたそうだ。

会話した客のほとんどはアメリカ人だった。名簿で調べてみると、やはり、9割近くがそうだった。外国人でも英語国民が多く、そうでないのはイタリア人1人と私たち夫婦2人だけである。

年齢的には、私たちに近い人が多い。引退して、世界旅行にこっている年齢層である。

展望ラウンジは図書室もかねていて、ここもよく利用した。帰国してからのスケジュールが詰まっているので、旅行記を書き進めようとしたからだ。少し不明なことがあると、ここで資料を探すことができた。

2月25日。航海の続きである。朝、ピーター・ヒラリーの講演があった。彼はすでに一度話をしているのだが、景色に見とれて逃してしまった。

ピーターは、最初に、南極大陸最高峰のヴィンソン山に客たちを連れて行った話をした。まず、雪山で10週間、週末にトレーニングした。雪洞を掘って生き延びることを重視した。いよいよ出発。飛行機で飛んだ。

「突然、飛行機が上昇し、また降下した。そしてアナウンス。レディーズ・アンド・ジェントルメン」

ここでピーターは話を止め、一同を見渡してから、続けた。

「今、南極圏への線を乗り越えました」

皆、爆笑である。巧みな話術だ。

そして、スキー機に乗り換えて目的地に着いた。スキー機が小さな点となって去っていったとき、客の一人であるフランスの大企業の重役がポツンとつぶやいたそうだ。

「俺は正しい決断をしたのだろうか」

美しい写真と共に、登っていく様子が示された。悪天候に阻まれ、数日間は雪洞で過ごした。ピーターにはその時が、この登山では一番楽しかったそうだ。いろいろなエキスパートとディープな話ができたのだ。

彼はさらに、シャクルトンのコースをたどって、サウスジョージア島を西から東に横断するコースをガイドした話もした。

1916年4月24日、エレファント島を出発したシャクルトンたち6名は5月10日サウスジョージア島に上陸した。ただし西海岸にである。救援を依頼できる捕鯨基地は東海岸にある。

シャクルトンと2名の仲間は、不十分な装備のまま、氷河に満ちた未踏のコースを歩いたのだ。今日でもこのルートはやさしいものではない。ピーターの話は探検家の暮らしがよく分かるものだった。

サウスジョージア島はホーン岬の西、約2000キロメートルの位置にある細長い島である。その長さは170キロメートル。島の半分は氷雪に覆われている。イギリス領であるが、定住者はいない。明日はサウスジョージア島に着くのだ。

2月26日。サウスジョージア島のゴールド湾に上陸である。スケジュールはあわただしい。朝4時15分起床。4時30分から軽食。そして5時にはもうゾディアックに乗っていた。

早朝のほうが、波が静かで上陸に適しているからである。今日のように晴天であれば浜での日の出も期待できる。

ここは南極オットセイの数が多いそうだ。噛まれないように気をつけろと注意があった。

石を持ってたたき合わせると音がいやで逃げると聞いたので、これでしのごうと思った。

浜には恐れるほどのオットセイはいなかった。そしてキングペンギンが迎えてくれた。キングペンギンは平均身長90センチほどの大きなペンギンである。

ここゴールド湾にはキングペンギンのつがいが25,000いるというので、大群に出会うのを楽しみにしていた。浜にいるペンギンの数はそれほど多くはない。

もう1つ、目についたのはゾウアザラシ。数頭が巨大な体を寄せ合っていた。

浜を上がって、左手に進んでいくとペンギンの数が増えてきた。浜が岩山と接する所で、待望の大群となった。ペンギンがひしめきあって平地を埋め尽くしているのだ。

クルルーという叫び声が空間を満たしている。群れの中を人が歩いているように見えるのは、口ばしを高く上げて歩く鳥だ。

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朝、群れの背後の岩山は薄く雪を被り、そして山の上部から氷河が垂れ下がっていた。全体として、目覚ましい景色である。斜めの光が浜に射した。

日が昇り、ペンギンの色彩も鮮やかになった。それにしても美しい鳥だ。背中とヒレは銀色に輝いている。

腹部は白。脇腹の銀と白の境には黒い縁取りがある。頭部は黒で、オレンジ色が口ばし、後頭部そして胸にある。

海に向かうペンギンが増えてきた。私も波打ち際に移り、波や浜を背景にしたペンギンの写真を撮りまくった。

ペンギンがたくさんいる浜では、背景に目的としないペンギンが入ってしまい、撮影が難しいからである。

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朝食のため7時に船へ帰り、9時に再び上陸した。晴天で風もない好天が続いている。2度目のゆとりで、ゆっくりと観察した。

2羽が連れ立って歩いているのが多い。高い声で鳴くときもある。つがい形成のための儀式、コートシップだ。

2羽で1羽を追っかけたり、2羽でいるところにもう1羽が押しかけたり、と三角関係もある。

カップルのメスが誘うように座ったら、オスが乗っかった。交尾である。

群れの中を探すと、親の足元から顔を出しているヒナがいた。ヒナは小さく、親から餌を貰っていた。

トムが卵を抱いているペンギンもいるといった。卵は隠しているのだが、時々、見えるのだそうだ。

「見つけてあげる」

と妻。双眼鏡で探して

「いたわよ」

おかげで写真を撮ることができた。

昼食時、船に帰った私は満足しきっていた。晴天時のキングペンギンの群れ。夢に見たことが実現したのだ。

これがクライマックスだ。あとは安全に帰ろうと思った。

午後はGodthulへ行った。上陸してのハイキングは難易度によって分けられた。

上級のハイキングをしても、たいしたものが見られそうもないので、私たちは中級を選択した。

タソックグラスという、がっしりした草の茂る斜面を登り、丘の上から景色を眺めたのである。

2月27日。セント・アンドリュース湾への上陸が予定されている。

ここには15万つがいのキングペンギン、すなわち30万羽以上のキングペンギンがいる。究極の体験となるはずだ。

しかし、セント・アンドリュース湾は外海に直接面している。そのため、波が高くて上陸できない時が多い。

昨日と同じスケジュールで4時15>分起床。幸いなことに、曇りではあったが穏やかな日で、私たちは苦労なく上陸することができた。

たくさんのキングペンギンが浜で迎えてくれた。

しばらく浜と平行に歩いた。キングペンギンの大群が見えてきた。

行く手に小高い丘がある。そこへ上ると、想像を超えた景色が待っていた。

向こうの山とこちらの丘の間に平野が広がり、入り江に面した浜に続いている。氷河から流れる小川が平野を貫いている。

そして見渡す限りすべての平野と浜をキングペンギンが埋めているのだ。

扇状に広がる浜から、平野の上部まで180度にわたって広がる景色である。

地球的景観だ。ペンギンの鳴き声は大交響楽となって満ち溢れている。

私は朝の光が強くなるのを待って、たくさんの写真を撮った。

注意してみると、灰色のぬいぐるみのようなヒナが、しばしば親に寄り添っている。ヒナは昨日見たのより大きく、親の半分くらいの大きさに育っている。

親くらいの大きさになったヒナもいる。これは、まだ茶色の綿毛に覆われているが、親離れしたのか、浜をぶらついている。

このように、キングペンギンの繁殖のさまざまなステージが見られるのだ。

トムが説明してくれた。キングペンギンの繁殖には早型と遅型がある。早型は春に産卵するが子育てには1年以上かかる。

それで翌年は春に繁殖することができず、遅型となり晩夏に産卵するのだ。

小さなヒナは遅型、中型のヒナは早型、そして大きくなったヒナは主に昨シーズンの遅型のものと考えられる。

浜を引き返す途中で、また、大量の写真を撮った。広い範囲にペンギンが散らばっているので適当なポーズのものが多いのである。

朝食後、また上陸した。上陸地点にはたくさんのペンギンがいる。

妻にじっとしていてもらった。予想は当たり、ペンギンが近づいてきた。

首を伸ばして、つつこうとしているのもいる。少しすると、妻はペンギンに取り囲まれてしまった。

記念となる写真を撮ることができたが、説明をつけないと違法行為をしていると間違えられるだろう。

ペンギンに5メートル以内に近づいてはいけないが、ペンギンがやってくるのは仕方がないというルールなのである。

営巣地を見下ろす丘に再び行ってみた。見物客の姿が少なく、風景の壮大さはさらに増していた。

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午後はHercules湾へ。ゾディアッククルーズでマカロニペンギンの集団を見た。岸には大量のコンブがあり、波に揺れていた。

2月28日。プライアン(Prion)島に上陸した。ここにワタリアホウドリの営巣地がある。最後のハイライトと期待していた。

ネットの情報では、歩きにくい道を行くようだった。長靴では難しいだろうと、寒冷地用のウォーキングシューズを買い込み、リュックも1つ新調し、この日に備えていた。

ところが、説明では、木道ができていて、そこを行くだけだそうだ。情報が古かったのだ。読み返したロンリープラネットにも木道のことは書いてあった。

木道をゆっくり上がっていくと、南極オットセイがここでも活躍していた。ここの子供は特にかわいい。生後1ヶ月だそうだ。

島の頂上付近が目的地だ。8羽のワタリアホウドリがじっと座っていた。卵かヒナを抱いているのだろう。近くに1羽いる。

最大のアホウドリだけあって、さすがに大きい。白い頭と胴体、やさしい目、薄いピンクの口ばしが印象的だ。

ナショナルジオグラフィックの写真家がいて注意してくれた。

「草むらだから、葉に焦点を絞らず、アホウドリに焦点を絞るように気をつけなさい」

といっても、草に半分隠れているから写真を撮るのに苦労した。それで、望遠で遠くのアホウドリを狙った。

塚のような巣の上におっとりと座っていて全体像がよく見えた。

この高貴なアホウドリの数は減少していたが、最近、それが止まり、回復の兆しがあるという。

延縄漁で引っかかってしまう鳥が多かったので、漁の方法を変える国際協定が結ばれたためだ。素晴らしいことだ。

アホウドリを見終わって、浜に着くと、ガイドの一人が飛んできた。

「登山杖を貸してくれ」

あっけにとられている私に、彼が説明した。

「オットセイに噛まれた。遅れている人を連れに行くが、また噛まれないようにするのだ」

やはりオットセイは要注意だ。

午後はElsehulで過ごした。そびえ立つ崖にたくさんのアホウドリが巣を作っていた。

ワタリアホウドリより少し小型のハイガシラアホウドリかマユグロアホウドリである。アナウンスがあった。

「アホウドリの巣を見に行くハイキングを実施します。一昨日の上級ハイキングより、さらに困難なものですから、覚悟して参加してください」

これは面白い。持ってきたウォーキングシューズも役に立つと参加することにした。

警告のためか、参加者は15人だけだった。

「南極オットセイが群れています。頑丈な登山杖を持って上陸してください」

と説明を受けた。ますます、冒険じみてきた。

たしかに、たくさんのオットセイが浜で跳びはねていた。襲ってくるのがいないか気をつけながら、上陸用長靴からウォーキングシューズに履き替えた。

ガイドしてくれるのはトム。

「アホウドリの巣はなかなか難しい。オットセイ・ウォッチングとオットセイに噛まれないように歩く冒険が主目的だ」

ジョークだと思ったが、本当なら、つまらないハイキングに参加したものだ。

斜面を登っていくが、オットセイの数は減らない。興味津々の顔で眺めていて、チャンスがあると駆け寄ってくる。

丘の鞍部に着くと、やっとオットセイが目立たなくなった。外洋に面する浜が眼下に見える。たくさんの大人のオットセイがいる。

「この風景はキャプテン・クックがサウスジョージア島を発見したときと変わらないよ」

トムがいった。乱獲のため南極オットセイは絶滅の淵に追い込まれたが、捕獲を禁止すると、爆発的に数を増やしてきたのである。

今の個体数は400万を超え、さらに増えているという。捕獲が始まる前の水準を回復したのだ。むしろ増えすぎることに問題があるかもしれない。

私たちは、鞍部から稜線に沿ってさらに登っていった。道がなく、タソックグラスの根がごつごつしていて歩きにくかったが、靴がしっかりしているので特に問題はなかった。

海に切れ落ちている絶壁が近づいてきた。その向こう、狭い水路を隔てた対岸の山にたくさんのアホウドリが座り込んでいる。これが目的だろうか。

妻がいった。

「ヒナがいるわ」

さすがに目が良いと思ったが、斜め下を見て驚いた。すぐ近くにヒナがいる。

「アホウドリのヒナかい」

トムに聞いた。

「そうだよ。ハイガシラアホウドリだ」

トムは重々しくいった。

ヒナはもうずいぶん育ってニワトリくらいの大きさである。足の水かきも発達している。でも、まだ、ふわふわした綿毛に包まれている。

ひなは完全にくつろいでいた。苦労してやってきて良かったなと思った。

またもや至福の時である。私はシャッターを押し続けた。その甲斐があって、キョトンとこちらを見るヒナの写真を撮ることに成功した。

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少し上に上ると、全体を見ることができた。ヒナは全部で4羽いた。でも、さっきの位置のほうがヒナに接近していた。

帰り道、話しかけてきた男がいた。

「どうなるかと思ったけど、素晴らしいハイキングだったな」

ピーターである。探検家にとっても満足すべき歩きだったようだ。

浜から船に帰る時、短くゾディアッククルーズ。オットセイが集まっていて水面が沸きかえっている所もあった。

夕方、ミーティングの時にナショナルジオグラフィックの写真家による説明があった。ワタリアホウドリの営巣地にいた男である。

「草が邪魔な時はカメラを持ち上げるのだ」

同じ場所で彼が撮った写真は、私の物とはまったく違っていた。やはり、プロは凄い。

私にはカメラを持ち上げて、アホウドリを狙う芸当はできない。たとえ角度を変えて乱射しても。それに、身長も手の長さも違う。

2月29日。船はFortuna湾に着いた。上級ハイキングはここからストロムネスを目指す。

シャクルトンによるサウスジョージア島横断の最後の段階がこれである。私たちは昨日の歩きに満足して、これはパスした。

船もストロムネスに向かった。ここには捕鯨基地の廃墟がある。島を横断したシャクルトンは捕鯨基地に助けを求めた。

そして、まず西海岸に残った3名を救助し、さらにエレファント島の仲間たちの救援に向かい、苦労の末、達成した。22名の残った隊員、全員が無事であった。

こうしてシャクルトンの英雄伝説が完結した。

船はさらに進んで、グリトビケンに着いた。ここがサウスジョージア島の中心地で、シャクルトンの墓もここにある。

その後の探検で、彼は心臓発作を起こして、近くで亡くなったのだ。私たちはまずシャクルトンの墓に詣でた。ボスとよばれた彼に敬意を表してアイリッシュウイスキーで乾杯である。

そして、捕鯨基地の壮大な廃墟を見た。鯨油の貯蔵タンクは石油タンクのような大きさだ。

クジラが絶滅の危機に追い込まれたのは欧米の責任である。それなのに、最後に乗り込んで、今も調査捕鯨とかでこだわっている日本の政策は愚かである。

つぎに博物館に入った。シャクルトンがエレファント島からの航海に使った救命ボートの複製があった。

浸水しないようにキャンバスで開口部を覆っている。これを見て、彼らの航海の厳しさをさらに実感した。

夕食前のミーティングには、現地の環境保護担当の人がやってきた。そして、ネズミ駆除の大規模プログラムについて話した。

ネズミの餌に毒物を入れ、ネズミを殺すのだ。島の鳥を保護するためである。私は感心して聞いていた。

ディナーのとき、同じテーブルの男がいった。

「俺は賛成しないね。ヘリコプターで大量の薬を撒くんだ。本当に他の生物に害がないかな。DDTの例だってある。キングペンギンが減ったら困るぜ」

鋭い指摘だ。私は、自分の批判精神が衰えたのを認識しながら、彼の職業を聞いた。

同業者かもしれないと思ったからだ。答えはコンピューター技術者。シリコンバレーにいたというから、有用なソフトでも作ったのではないか。

3月1日。船はサウスジョージア島の西海岸を探索した。西海岸は、東海岸に比べて氷河が多く、より険しい印象である。

最初にキングハッコン湾のペゴティ・ブラフに停泊した。ワタリアホウドリが2羽やってきたので、写真を撮ろうとデッキに出た。

風がかなり強く、寒い。それでハイキングは参加しないことにして、アホウドリの写真撮影に熱中した。午後、船は湾の入り口にあるロサ岬へ向かった。

さらに風が強くなったのでゾディアッククルージングは船の上からの見物に切り替わった。船は岬に超接近してくれた。

シャクルトンたちは、最初にロサ岬に上陸し、つぎにペゴティ・ブラフに移り、そこから島の横断に出発したのである。

これでシャクルトンの足跡を訪ねる旅は完成した。船は進路をフォークランド諸島に向けた。

3月2日。2日間の外洋航海である。海は比較的穏やかであった。講演を聞き、旅行記を書き、さらにワタリアホウドリの写真を撮って日が過ぎていった。

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フォークランド諸島は、アルゼンチンの遥か東沖にある。緯度的にはウシュアイアより、かなり北である。

イギリス領だが、アルゼンチンも領有権を主張し、30年前には戦争が起きている。

丁度、30年というので、再び緊張が高まっている。フォークランド諸島の歴史を聞き、事態の複雑さを理解した。

 

3月4日。フォークランド諸島のスタンリー着。島の中心地だ。午前中はスタンリーの観光。

午後は郊外に出て、マゼランペンギンを見た。顔に黒い筋があるペンギンだ。南アフリカのペンギンに似ているがピンク色が入っていない。

3月5日。フォークランド諸島の西側を観光する日である。

午前中はCarcass島。住人の家を訪問し、とても美味しいクッキーやケーキをご馳走になった。浜にはマゼランペンギンがいた。

午後はニュー島。上陸して、なだらかな草山を超えると、海に面した断崖の岬に出た。

岬の右手はすり鉢状に崩落し、海が入り込んで小さな入り江になっている。この崩落した崖に数十羽のマユグロアホウドリが巣を作っていた。

私たちは崖の上から営巣地を見下ろした。崖の上にはイワトビペンギンの姿もあった。金色の毛が鉢巻のようについたペンギンである。

アホウドリのヒナはまだ灰色の羽毛をまとっていたが、親鳥ほどの大きさに育っていた。

はばたいて、飛ぶ練習をしているヒナもいる。羽を広げるとびっくりするほど大きい。

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親鳥が帰ってきた。マユグロアホウドリは眼のふちが黒く、りりしい顔立ちである。ヒナはまだ餌をもらっていた。

入り江の向こうの斜面には比べ物にならないくらい大きな営巣地があった。そして空にはたくさんのアホウドリが飛んでいた。

空は晴れ渡っている。しかし風は強い。ゴミが飛んできてカメラのレンズが汚れるほどである。

私は強風に耐えながら、この壮大な景色に見入っていた。南極旅行の最後を飾るのにふさわしい景色である。

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さらに、今度の旅でアホウドリとペンギンは完結したなと思った。ニュージーランドでアホウドリとペンギンを見てから20年近く経った。

この2つの鳥はフラミンゴと共に私の最も好きな鳥となっている。今日までに、ペンギン18種の中で12種を見たのだ。

そして、アホウドリやペンギンの繁殖サイクルの、ほぼすべてのステージも見たことにもなる。

夕方、船はウシュアイアへ向けて出発した。強風が吹き、海は荒れた。

3月6日。朝起きると波は穏やかになり普通の外洋航海となった。

朝、ピーターの講演があった。フォークランド諸島に向かう時も、彼の講演があり、やはり感銘を受けていた。

エベレストに登った時、衛星回線で電話が父親に繋がった。

「おめでとう。しっかり降りてこいよ。降りてこそ登ったことになる」

といわれたそうだ。

今日のピーターの話はさらに迫力があった。世界2位の高峰、K2を目指したときの話しだ。

数名の登山家が、楽しくK2の頂上に迫っていた。頂上直前、雲がやってきた。彼は突然、何かが間違っている気がした。

俺はもう登れない。そう思って、登山家たちに別れを告げた。

その後、嵐が襲い、ヒマラヤ登山史に残る悲劇となった。ピーター以外の全員が遭難死したのである。

自分の判断に頼ることの重要さを彼の話は示している。同時に、探検や冒険がいかに危険に満ちているかも。

「船がビーグル水道に向かっているからこの話ができるのだ」

とピーターは皆を笑わせた。

そういえば、少し前のトムの話もそうだ。トムは沈もうとするエクスプローラーの写真を示した。

リンドブラッド社が南極観光用に作ったリンドブラッド・エクスプローラーは他の会社に売られて、エクスプローラーと改名され、南極旅行中に氷山に当たって沈没した。

2007年のことである。幸い、乗客、乗員は全員無事救助された。真っ先に救援に駆けつけたのはリンドブラッドの船であった。

私は、出発前に知っていたが、初めての人も多いだろう。だからトムは、旅の終わりにこの写真を出したのだ。

展望ラウンジにおいてある南極の本の中で最も詳しいのはアンタークティカ (ファイアフライ・ブックス, 2008) である。

この序文に次のような文章がある。

「南極は地球で最後の未開の地である。南極へのどの訪問も冒険である。そこへ行く恩恵を与えられた人にとっては」

この文を読んで、まったくそのとおりだと思った。

私たちは幸運に恵まれた。ピーターが、あり得ないというほどの。

南極の美しさは神の領域に属するかのようであり、南極旅行は私たちにとって最上の旅の一つとなった。

私たちは数々の思い出を抱いて、日常に帰ろうとしている。海が静まってきた。もうすぐビーグル水道に入るだろう。

なお、南極クルーズ旅行記は4トラベルにも掲載しました。写真はそちらのほうが多いです。